大崎町郷土教育資料

氷川神社

桐ヶ谷二一八番、第一日野小学校の西北方にあり村社である。

素盞雄命、面足命、品陀和気命、建御名方命を祀って居る。

「新編武蔵風土記」〔註・省略〕

鎮座の年代は右記にも不詳とあるが「元禄年中より杜地免除アリシト云」より推測すれば、今より四百年前にあったに相違ない。

例祭九月十三日、祈年祭二月十七日、新嘗祭十一月二十三日

以上三社共〔註・雉子、氷川、居木〕、この三祭日には幣物供進使が参向する。

例祭には、氏子各軒毎に灯燈をかゝげ、御輿を出し、尚神楽を奉納する。

 

社殿様式

氷川神社 (現在社殿) 明治三年、流レ造

 

氷川の懸泉

桐ケ谷氷川神社境内にある。断崖を湧出すること一丈五尺、泉底石を甃して人工を施した。泉流徽徹雌雄の二条ある。

里人之を氷川の滝と称して、盛夏の候都人士来りて、沐浴するもの近年其数を増加した。古老の説に此の滝旧時は水量極めて少かったが、嘉永四年村民協力して水源を疏鑿して、爾来年を逐うて漸く今日の状態になったということである。

 

氷川の老松

氷川神社橙下に一古松ある。周廻一丈八尺許り、蘚幹勁直葱葱として天に参してをり、本町内第一の老樹であるだらう。

新編武蔵風土記稿に 「華表の傍左右に古松あり、囲各一丈八尺余り」 とある。思うに是なり。然し年代不詳一樹は既に枯死して現今存するものは即ち其二樹の一であるといふ。

 

八幡宮跡

桐ヶ谷字宮の上百六十八番地は其の跡である。延宝地図には之を載せ、又元禄十年水帳も亦社地一反五畝歩別当安楽寺と記してある。祭神は品陀和気尊で創建未だ詳かでない。維新の頃は社殿間口九尺奥行九尺で、境内四百十六坪、信徒八十六あった。明治四十一年九月十三日桐ヶ谷氷川神社に合祀した。其の

跡邸陵に倚り、今尚古松数株あって僅かに、断礎の跡を存してゐる。

 

諏訪明神社跡

桐ヶ谷字幡ヶ谷二百九十四番地は其の跡である。延宝地図には之を載せ、元禄十年水帳に社地三畝歩別当安楽寺と記してある。祭神は建御名方命にして、創建歳月未だ詳かでない。維新の頃は社殿間口九尺奥行九尺で境内百七十五坪、信徒八十六戸あった。明治四十一年九月十三日前記八幡宮とともに、氷川神社に合祀したといふ。

 

第六天社跡

桐ヶ谷字谷戸窪五百四十坪は其の跡である。古地図には之を載せないけれども、弘化年間地図に之を記してある。祭神は惶根命で維新の頃は広智神社と称した。社殿なく方一尺の石岡である。境内十六坪あったが、明治四十一年九月十三日左記第六天社と共に氷川神社に合祀した。

 

第六天社跡

桐ヶ谷宮の上二百二十六番地は其の跡である。延宝地図には之を載せてある。祭神は面足命で創建年月未だ詳かでない。弘化年間地図に第六天社と記してあり、後年代不詳広智神社と称した。社殿な〈万一尺の石祠で境内十六坪、信徒八十六戸あった。明治四十一年九月十三日氷川神社に合祀した。

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